感情解放と生きづらさ
私には「他人の目が気になる」、「素の自分を出せない」という悩みがあります。社会生活をしていたら「他人の目が気になる」というのは、ある程度誰もが持っている悩みかもしれません。私も他の類に漏れず、それどころか思い返せばずっとこの問題が私の人生に横たわってきました。
学生時代のクラスでも大人になってからの職場でも、みんなと仲良くなりたい気持ちはあるけど、うまく輪に入れずいつも傍観者になってしまう。少人数ならまだマシだけど、大人数になると心から楽しめたことがない。そのシチュエーションを思い出すと、喉がキューッと狭くなり、胸が苦しくなり、悲しくて涙が溢れてくるのです。
今回のリトリートの参加者は13名。みんなで一週間一緒にごはんを食べて、サーフィンをして、セミナーを受けるのですが、たまたま集まった見ず知らずの人たちと仲良くなれるだろうか……。
初日のディナーで、個性豊かな面々が楽しくおしゃべりする中、私は突然不安に襲われました。なんか会話に入れないかも……いつもみたいに孤立したらどうしよう……。せっかくバリ島まで来たのに楽しめなかったら最悪だ……。私が負のスパイラルに入りかけていた時、みんながおもむろに手食を始めました。
「手食」とは、文字通り手で直接食べ物を口に運ぶこと。右手の親指、人差し指、中指を使うのですが、これでキレイに食べるのはなかなか難しい。手で触りながら味わうことで、普段食事の時に意識しない「触感」を感じることできて、食事が美味しくなります。いや、本当に。騙されたと思ってやってみて。
子どもの頃の泥遊びと同じ感覚で、ごはんとおかずを混ぜ混ぜするのが、すごく楽しい。普段お箸で食事するのが当たり前で、小さい頃に「食べ物で遊んではダメ!」なんて言われて育ったものだから、なぜだかちょっぴり悪いことをしている気分。「郷に入っては郷に従え」を実践しているだけなんだけどね。
途中、スプーンとフォークに持ち替えて食べてみたけど、やっぱり手のほうが美味しい。「え〜ウソやん!そんなことある〜?」なんて言いながらみんなでやってみたけど、満場一致で手のほうが美味しかった。そんなことをやってるうちに、さっきの不安はどこへやら。
すべての出会いはご縁
結論から言うと、その不安は杞憂に終わりました。
今ではここで出会ったみんなは一生の宝もの。家族みたいに大切な仲間だと胸を張って言えます。
どの写真を見てもとびきりの笑顔。よっぽど楽しかったんだろうな〜と帰国後しみじみ。今までの悩みはなんだったんだろうというくらい、今までの私とは違う私だったのです。
こんなふうに思えるようになったのには、実は理由があります。それは、リトリートのプログラムとして実践した、「自分の感情に向き合って解放する」というワークをしたから。
感情に向き合うとは、簡単に言うと、その感情を感じきってもう一度自分に統合していく作業のことです。さらに、その感情が生まれた原体験まで遡り、インナーチャイルドを癒やすこと。そのワークを通じて、私の心にも明らかな変化がありました。
次第に私の中で、自分に対する疑問が湧き上がってきます……。今ここにいる参加者はみんな本当に優しくて素敵な人たちばかり。私が「素を出さずに、心を開かない」という選択をし続けることは、「みんなのことを信頼していない」ということになるよね?それって逆にみんなに失礼じゃない?本当はみんな両手を広げて待っててくれてるかもしれないよ?
うまくは説明できないんだけど、胸のつかえが取れた感覚。 毎日寝食をともにし、海に入り、すっぴんで笑い合う。自分を取り繕う必要がなく、安心できる場所。
同じ釜の飯を食った仲間ってすごい
「リトリート」と言えばおしゃれに聞こえるけど、もはや合宿所(笑)。部屋の日当たりが良くない上に湿気が多くて洗濯物が乾かない。「(使われてない建物の屋上を指さしながら)あそこに干しちゃう?」と屋上に忍び込んでみたり(一応ホテルのスタッフに声かけた)、スコールで干してた洗濯物がずぶ濡れになったり、夜な夜な誰かの部屋でワインを飲んだり。
そうそう、みんなのホロスコープも空き時間に見させてもらいました。こんな赤道直下の国までやってくるフットワークの軽いみなさんなので、やはり3-9ハウスの軸が目立つ方が多かった!毎晩誰かがお礼に!とビールをごちそうしてくれて、感謝感謝。
帰国した今振り返れば、もっともっと心を開けばよかったという反省はちょっぴりあるけれど、普段の私からは考えられないくらい短期間でみんなに溶け込んで楽しんだ一週間でした。
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