涙が出てくる理由がわからない
私は元フリーランスだった旦那にちょくちょく仕事の相談をする。私とは全く違う発想ができる彼をとても頼りにしているし、人に話すことで自分の頭が整理できるというメリットもある。
先日、旦那に仕事の相談をしていた時のこと。ふいに痛いところを突かれて、涙が溢れてきた。いや、正しくは「痛いところ」を突かれたことすら私は分かっていなかった。 自分でもなぜ涙が出てくるのかわからない。けれど、何かしらの感情が動かされた結果、涙が出てきていることに間違いはない。
旦「なんで泣いてるの?」
私「わからない」
旦「本当はこんなこと言われて悔しいんじゃないの?他人にそんなこと言われる筋合いないっていう怒りがあるんじゃないの?」
私「そうかもしれない……」
旦「まずさ、もっと自分の心の動きを観察したら?それが自分を大切にするってことじゃないの?」
ここまで言われてやっと気づいた。
私はこれまで自分を大切にしてこなかった。自分の感情を無視し続けてきた。涙は出るけど、いつもその理由がわからない。それは感情を押し殺して生きてきたからだ。 感情を理性で封じ込めて、感じないようにしてきたからだ。
どうせ私の言葉は届かない
いつから私は感情を殺すようになったのだろう? 思い出したのは小学校低学年の頃。 その日は友達と遊ぶ約束をしていた。約束の時間までに宿題を終わらせようと思ったけれど、どうしても解けない問題があった私は宿題を後回しにすることにした。
母を言いくるめることには成功したけど、その日は週末で家にいた父が立ちはだかった。私は子供が言うことを聞かないと、すぐ父に言いつける母が大嫌いだった。 母は何かにつけて「お父さんに聞いて」と父に判断を委ねた。
幼いながらに母は父に付き従うだけで、意思決定権がないんだろうかと腹ただしく思っていた。 母がちょっと私の味方をして、宿題が終わってないことを父に黙っていてくれることだってできたはずなのに。 結局その日は遊びには行けずに、父に叱られ泣きながら机に向かった。
こうしてインナーチャイルドがつくられる
幼い頃、父はとても怖い存在だった。言うことを聞かないと叱られる。何を言っても聞き入れてもらえないし、口答えするなと言われる。どうせ私の言葉は届かない。何を言っても無駄だと悟った私は黙ってやり過ごすようになった。
そうやっていつからか私は自分の感情を言葉にすることをやめてしまった。言葉にするのをやめただけでなく、感情そのものを無視するようになった。だから自分が何を感じているのかわからない。なぜ涙がでるのかわからない。
感情は自分が生み出した子供(=インナーチャイルド)である。その感情を無視して、私はパンドラの箱に押し込めてきた。けれど、感情は「ここから出してくれ!」とアピールをしてくる。
私は父に叱られた時、黙ってやり過ごしながらも「怒り」や「悔しさ」を感じていたんだろう。冒頭の旦那とのやりとりは、同じ感情(エネルギー)に共鳴したから、涙が出てきたのだと思う。
親子関係に問題がない人なんていない
厳しかったけれど、DVやネグレクトもなく、大学まで行かせてくれた両親には感謝している。両親が私を愛していなかったわけではない。ただ私が欲しかった愛情の形とは少し違っただけ。 私はもっと私の話を聞いて欲しかったし、受け入れてほしかった。安心して自分の言葉を発していいんだという安心感がほしかった。
「私が言葉にするのが苦手なのも、自己肯定感が低いのも両親のせいだ」と責めるのは簡単だけど、もう私も大人だから自分の生き方くらい自分で選べる。いつまでも傷ついた子供のままで居るわけにはいかないからね。
鑑定でも、両親との関係が「問題の根っこ」にあることはよくある。月がトラサタとハードだとそれが顕著だ。本人がなかなか気づけないだけに、月は本当に扱いが難しい。
私が私のベストパートナーになるために
これからはもっと自分の心を観察しよう。もっと興味を持って愛を持って、自分が何を感じているか知ってあげよう。これまで散々無視し続けてきたからすぐには難しいかもしれないけれど。
私が私を愛することができなければ、他人を愛することなんてできない。自分の心が何を感じているのか分からないのに、相手の心に気づいてあげることはできない。
まずは自分から。私が私のベストパートナーになる。生まれてから死ぬまでを共に過ごすのは、他の誰でもなく自分自身なのだから。
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